三流だっていいたいことはある

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June 2013

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May 2013

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作品をスタジオに送ったところ、2社ぐらいから声がかかって、99年ごろだったんですけど、転職できるかなと思ったんですが、そのとき米国で働くにはグリーンカードが必要で、持っていなかったので、グリーンカードを取得しようと待っているときにおやじが病気で亡くなってしまって、そのとき大ショックで急に(心に)大きな穴が開いて、3年間一生懸命(CGを)勉強してきたのがプツンと切れちゃって、何もやる気が起こらなくなってやめちゃったんですね。そのとき一度あきらめたんです。

 それから2008年まで証券会社でITの仕事などをして米国にいたんですけど、5年前に金融がリーマンショックでなかなかうまく行かなくなって、海外業務縮小になったんですね。その時点で15年くらい米国に住んでいたものですから、子供もこっちで生まれましたし、転職しようかと思ったときに、10年くらい前にうまく行きそうだった夢にもう一度最後にチャレンジしてみようと。で、会社やめて、学校行って、勉強し直して、グリーンカードも持っていましたしね、今度は追い風が吹いていて、たまたまうまくいったということですね。

 --証券会社に勤務されていたわけですが、映画の世界に入ることに不安はありませんでしたか?

 不安よりも期待の方が大きかったです。そして実は自信もありました。なんとなく、やれるのでは?という自分に対する変な期待もありました(笑い)。

 たまたま自分のやりたいこととできることがうまくマッチしていたということです。日本では、やっぱり40歳超えて、学歴も(映画畑とは)違うし、経験も全然違うし、職業を代わるというのはなかなか考えにくいですよね。でも米国はそういう色を全部取って、その人が何を勉強してきて、どんな学校に行ったじゃなくて、米国はその人のアウトプットした作品を見て、それが素晴らしければ、それを見て評価をしてくれるシステムになっているんですね。年齢も関係なく。

”
—アイアンマン3:モデリングを担当した成田昌隆さんに聞く プレッシャーで「毎日緊張していた」 - MANTANWEB(まんたんウェブ) (via katoyuu)
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2月3日に、仙台空港に行ってきました

久しぶりだったからどんな感じなのかドキドキだったけど、少なくともターミナルに限っていえば、アクセス線も復活して完全に元通り。
展望台から飛行機の離発着を見るのは本当に楽しかったです。

オイラは一人で例の砂浜に向かいました。
「立ち入り禁止」の看板があったけど、近くにいた工事のおっちゃんに事情を話したところ、快く通してくれました。本当にありがたかった。でなきゃそこで帰るはめになってたからね。
砂浜は、大雪で降った雪がたっぷり残っていて真っ白だった。
だけど、どうも先客がいたらしい。よく見ると猫の足跡が点々と残っていました。
姿は見えないけど、ここには猫がいる。なんだか凄い嬉しくなった。そして、シロのことを思い出した。

あの「ARIGATO」がニュースになって、ちょっとした有名人になったオイラは、とんでもないアクセスと、びっくりするくらいたくさんのメッセージやコメントをいただきました。
その中で唯一、直接お会いした方がいます。「ARIGATO」は直接関係のない、震災前の閖上で撮影した、この写真の猫に関してでした。



その方は、震災前に閖上漁港で野良猫の面倒を見るボランティアをしていました。
漁港には約50匹の野良猫が住み着いていて、地元の人や漁師さんに可愛がられていたそうです。
そして、この白猫の名前はシロだということを教えてくれました。ニュースで大騒ぎになった際、どこかのリンクから偶然オイラのページを見つけて、フォトアルバムの写真を見て気づいたんだそうです。
50匹の猫たちにはそれぞれ縄張りがあり、それぞれ個性がありました。
その方は、一匹一匹の性格や特徴を教えてくれました。シロは、サイクルセンター脇の海に抜ける辺りが縄張りで、とても臆病な性格だったそうです。 そこはまさに、この写真を撮った場所。そして、カメラを向けたら警戒感剥き出しで、さっと逃げていきました。全てその方の言う通りでした。
ただの野良猫じゃなかった。シロって名前もあって、大事に思ってる人もいたんだってことを、その時初めて知ったんです。
そして震災以来…閖上の猫たちはみんないなくなったことも。
シロだけでなく、50匹もいた猫がみんな。遺体さえも残さないで。

「せめて遺体でもいいから会いたい…」

そうぽつんと漏らされた言葉が、凄く痛かった。
オイラには何もできなかった。ただ、プリントアウトしたシロの写真と、データの入ったUSBを渡すことしかできなかった。そんなことしかできなかったのに、その方は「ありがとう」と言ってくれた。「写真でもまた会えてよかった」と。

一人になったとき、どうしようもない無力感でいっぱいになった。涙が流れて止まらなくなった。
なにより信じられなかった。ほんの数ヵ月前に「にゃんにゃーん♪」とかやりながら撮影したのに。生きていたのに…。

だけど、オイラが知ったのはそれだけじゃなかった。敢えて冷たい言い方をすれば…この話は、数ある話の一つでしかなかった。

仙台空港で友人を亡くしました。岩手で家も家族も失いました。今でも行方不明の親戚を探しています。原発の影響で避難生活を送っています。自衛官として現場で活動しています。慌ただしく出撃していく自衛官、米兵、警察官、消防士の夫を見送りました。頑張って欲しいです。
今回の震災だけでなく、阪神大震災のことを教えてくれた人もいました。どれもとても丁寧で、温かい文書でした。
そしてみんな「ありがとうと伝えてくれてありがとう」「チコさんのような人がいることに救われました」「あなたのおかげで元気になれた」と伝えてくれたんです。それどころか「同じ宮城県民として、名取市民として誇りに思う」「阪神の時、なぜあなたのように行動できなかったのかと悔やまれます」とまで書いてくれる人もいました。
「長々と自分のことばかり書いてごめんなさい。けど、あなただから伝えたいと思ったんです」「チコさんだから、お話ししたいと思いました」って。 恐らくは誰にも伝えられないでいた悲しみと苦しみを伝えてくれて、その上で「ありがとう」と伝えてくれたんです。
それはとても光栄ですし、嬉しいことです。むしろ、オイラに連絡することで少しでも気が晴れるならじゃんじゃんしてくれと思いました。本当にありがたいと、いまでも思っています。

けど…正直に言う。
辛かった。
すごく辛かった。
あまりに重すぎた。

数通なら耐えられたかもしれない。だけど、届いたのは百や二百じゃすまない数だった。それこそ、津波みたいな勢いでやってきたんだ。
ぶっちゃけた話、何度も思ったよ。

やめてくれって。

日記にも挨拶にも書いたじゃないか。オイラの家も家族も無事だったって。だからオイラは、津波で大切なものを失った悲しみや苦しみなんてわからないし、わかるはずがない。
釜石とか南相馬とか言われても、行ったことないからわかんないんだよ。そこが本来どんな土地で、震災でどんな風に被害を受けて、いまどうなってるのか、なんにも知らないんだよ。ましてや、阪神大震災の話なんかされたってこれっぽちもわからんがな。
…猫だぜ?たかが野良猫の話でさえ、苦しくて死にそうになってるんだよ。 なに勘違いしてんだよ。オイラは自他ともに認めるクソ野郎。この震災で誰かを救えたわけでもない。
ただ感謝の手紙とフォトブックを渡して、砂浜に「ARIGATO」と描く、誰にでもできることをやっただけ。
そして、そんなちっぽけな行動に寄せられた温かい言葉に対して、返す言葉さえ見つけられないまま途方に暮れることしかできていない、その程度の人間なんだぞ。

…ゴミになった気分だった。

というより、オイラはゴミなんだって事実を思い知らされた。オイラは東北のことも、人の痛みさえもわかってない、ちっぽけな人間でしかないんだって。
いや本当、実にいい気分だった。最高の気分だった。
未だかつて、あんな孤独は味わったことはなかった。
そして、本気でわからなくなった。

なあ、「震災」って…「被災地」ってなんなんだ?

あの日以来、その単語を聞かない日なんてない。だけど、当たり前のように被災地っていうけど、具体的にどこのことを指すんだ?
青森のことか?岩手のことか?宮城のことか?福島のことか?茨城か?千葉か?東京か?
考えてみたら、それまで被災地と聞いて思い浮かべるのは東北のこと、空港周辺のことばかりだった。だけどそれは、全体のごく一部でしかない。正直なところ、都内や千葉で亡くなった方もいるのにまるで考えていなかったことに、文字どおりあらゆる地域の方からメッセージをいただいたことで気づくことができた。
メッセージをいただくまで、オイラの口にしていた「震災」や「被災地」って言葉に対する認識はあまりにも曖昧で、穴だらけで、なんの重みもないものだった。
いまのオイラにはこの震災がわからない。だから復興ってなんなのかもわからないし、これからの日本でどう生きてけばいいかもわからない。
それなのに、皆さんにお返事するわけにはいかない。その意味を理解できていないまま「震災」「被災地」なんて言葉を使うことはできない。
文字どおり、返す言葉がなかった。そんなとき、大尉さんからこんなメールが返ってきた。

チコさん、申し訳ございません。。。私の返信は大変遅いでございます。
チコさんのメールを貰ったから本当に喜んでいます。三ヶ月ぐらいアメリカへ帰りますがいつも日本が大好き。未来にはチコさんがアメリカにいらっしゃったら連絡なさって下さい!
日本人のほうが自然災害より強いとおもいます。がんばろう東北!

おおきにありがとうございます!

ガーブラクト・ロバート
米海兵隊の大尉



大尉さんは、わざわざ日本語で書いてくれた。「おおきに」はちょっと違うけど、大尉さんなりに日本語のくだけた表現を選んでくれたんだと思うと胸が熱くなった。
皆さんと同じ、魂あるメールだった。
すぐに返信しようと思ったさ。だけど、実はまだ出来ていないんです。
日本には言霊って言葉がある。
魂ある言葉には、魂ある言葉で返すのが人として当然のこと。
そんな当たり前のこともせず、本当はこれっぽっちも元気じゃないのに「オイラは元気です」とか、うわべだけの言葉を並べ、自分はなにもわかっていないことを自覚しながら、大尉さんにお返事する。そんな誠意のない真似が出来るか。
そんなのが絆で、そんなのがトモダチだというならクソ食らえだ。

だけど、結局オイラは、皆さんにも大尉さんにも返す言葉を見つけることはできなかった。
「せめてデブリーフィングはちゃんとやらなきゃ…」って、本を書くことしかできなかった。
本を書き終えようとしていた7月9日。ちょっとばかしお出かけをして、キャンプ富士まで行ってきた。コゼニスキー大佐と再会する数少ないチャンスだったから、本当は会わす顔なんかないくせに会いにいったんだ。
大佐はオイラの顔を見た瞬間、すぐに気づいてくれた。みんなが作った「ありがとう作戦」のワッペンを渡したらとても喜んで、キャンプ富士のワッペンと交換してくれた。そして、最後の方にこう言ったんです。「もっと多くのことができたらよかった」って。



信じられるか?ドヤ顔で自慢してもいいスゲーことをやりながら、あれ以上の支援があるわけねえってくらいの仕事をしときながら、そんな言葉が出てくるんだぜ?
まったくたまったもんじゃない。そんな立派な人からコインをいただいた身にもなってみろ。安っぽいコインがメチャクチャ重く感じんだろうが。
冗談じゃねえよ、本当に。どいつもこいつもよ。オイラをなんだと思ってんだよ?オイラはどうすりゃいいんだよ?
それが、どうでもいい日記を書いてお茶を濁してきたこれまでの日々。

…そして、この砂浜まで来た。

滑走路端のARIGATOを描いた場所には、なにもなかった。もう本当に、なんにもなかった。Googleマップも含めて確認したから間違いない。

「ああ、もうないんだ」って、結構普通に思った。そうか、もうないのかって。


[»16]
とりあえず、腰を落ち着けた。
優しい潮騒。穏やかな時間。たまにやってくる飛行機。
なにもない砂浜で、震災前にそうしていたように静かにたたずんでいたら…。
なんか…段々腹が立ってきた。無性に腹が立ってきた!!

スターウォーズの皇帝陛下がいたら絶対に「お前の怒りを感じるぅ…」って言うくらい腹が立ってきた!!!

なにもない砂浜?…違うぞこの野郎!!!!

オイラだって、この震災で知ったことが一つある。
一見するとなにもないこの砂浜からでも、はじめられることがある。伝えられることがあるって。

チコ@ありがとう作戦. 『2月3日に、仙台空港に行ってきました』. mixi, 2012年02月11日 01:06.

”
—Red Fox ありがとう作戦 その後 (via petapeta)
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